1月最終聖日でした。2022.1/30(日)

≪今週のみ言葉≫

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい。」ルカ9章23節

  説教題:『十字架の主に従う』   聖 書:ルカの福音書9章21~27節

今年のレント(受難節)は、3/2㈬~4/16㈯です。4/10㈰が受難週礼拝で、その週が受難週、そして4/17㈰がイースター(復活祭)です。『牧羊者』カリキュラムでは、本日1/30㈰~3/27㈰の単元が《キリストの十字架への道》となっていて、早目にキリストの十字架と、キリストに従う弟子の道を味わうようになっています。ルカ9・18~20、マタイ16・13~19、マルコ8・27~29は、イエスについての、ペテロの偉大な信仰告白です。「神のキリストです」(ルカ9・20)、「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタイ16・16)、「あなたはキリストです。」(マルコ8・29) この告白は、天におられるわたしの父があなたに明らかにしたのですと、イエスはペテロに言われ、「そのときから」(マタイ16・21)イエスは弟子たちに自分の歩むべき十字架の道と復活、弟子として歩むべき道を語り始められました。《受難の予告》と共に、必ず《三日目の復活》を語られたことに注目しなければなりません。そして、命に至るべき弟子たちの覚悟と、日々のキリストへの従順の道をイエスは指し示されます。

Ⅰ.自分を捨ててキリストに従う。[ただキリストだけ知って、もはや自分自身を知らないということである。自分の財産、野心、愛着、利害、その他自らの一切のことをキリストの脇へ置くことである。](『牧羊者』p.44)徹底して自分を捨て、自分に死んで、イエスに従うことこそ弟子に求められる従順の道です。

Ⅱ.日々自分の十字架を負って従う。「ついて来たい」とは、一時的にではなく、永続的な従い方を求めたものであり、それは時間的な長さだけではなく、「日々」(この言葉はルカのみが用いている言葉である)という言葉にみられるように、日常生活における瞬間性、あるいは具体性をも伴った意味を持つ。(『牧羊者』p.43,44)そして「自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」なのです。他人の十字架ではない、神が私に与えておられる自分の十字架なのです。24節は、霊界のパラドックス(逆説)です。神にいのちを献げることによって、真にいのちを得るのです。そのような日々の歩みへと導かれ、十字架の主に従いぬいて、真の復活のいのちにあずかりましょう。

<お知らせ>

・1月は「往ぬ(行ってしまう)」の通り、明日でもう1月も終わります。「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(フラワーアレンジメント)」が更新されます。

・本日は礼拝後、新会堂候補地の第1回見学日です。「主のみ心が成りますように」と祈っています。

・次週2/6㈰は礼拝直後、定期の教会総会が行われます。2021年の主の導きと祝福を感謝し、変わることのない真実なお方を仰いで、2022年度への歩みを堅くできますよう、お祈り下さい。