召天者合同記念礼拝でした。2022.4/24(日)

≪今週のみ言葉≫

説教題: 『復活のキリストと出会う』  聖書:ルカの福音書24章13~32節

「すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」

                                ルカの福音書24章31節

神のひとり子イエス・キリストの受肉降誕(クリスマス)、十字架と復活(イースター)、キリストの霊と言われる第三位の神、聖霊の降臨(ペンテコステ)が、キリスト教会の三大祭です。実にキリストが父よりこの地上に贈られたことによって、人類の歴史が真っ二つに分かれました。B.C.(Before Christ 紀元前)とA.D.(Anno Domini ラテン語で主の支配の年、紀元後=西暦)です。今年は西暦2022年です。そしてこの暦は、キリストが再び信じる者たちを迎えに来られる「再臨」の時まで続き、永遠に至るというわけです。神の経綸です。

Ⅰ.キリストのよみがえり 初めてのイースター(キリストの復活祭)から今年は既に2000年を数えています。今でもキリストの死人からの復活などとても信じられないと考える人は多いことです。ましてや初めてのイースターの出来事を聖書で読む時、まさに当時の弟子たちやイエスを愛していた人々にとっても、途方もない出来事であり、受け入れられない信じがたい出来事だったことが手に取るように分かります。復活のキリストが現れて下さった(顕現)いくつかの場面の中の、今日はその中の一つで、「エマオへの道」で、二人の弟子たちに近づいて下さったキリストを描きます。一人の弟子の名はクレオパ、もぅ一人の名は記されていません。この二人がエルサレムから11Kmほど離れたエマオという村へ行く途中、イエスの出来事をあれこれ話していると、キリストが近づかれ、共に歩かれました。しかし、この二人にはそれが復活のキリストであることは全く分かっていませんでした。彼らの会話で分かるように、彼らの目は遮られて、塞がれていました。一つは「悲哀」、二つ目は「失望」、三つ目は「不信」というサングラスによってでした。キリストは道々、聖書のみことばを語られ、預言の通りにキリストは死んでよみがえられたと解き明かしました。この時から、聴く二人の心が燃え始めたのでした。夕暮れとなり、先に進もうとされるキリストに、「私たちと共にお宿り下さい」と引き止め、そして夕食の席について祈り、パンをさかれる様子に二人の目が開かれ、「イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(31)のでした。キリストは事実、死人の中からよみがえられ、今も生きておられる救い主なのです。

Ⅱ.キリストを信じる者たちのよみがえり 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11章25節)[コリント人への手紙第一15章50~58節、テサロニケ人への手紙第一4章13~18節参照]今ここにお写真が掲げられてある方々は、「わたしを信じる者」と主イエスから呼ばれる方々です。地上の生涯のどこかでイエス・キリストをご自分の罪と滅びからの救い主と信じ、受け入れられて罪をお詫びし、十字架による赦しを確信され、バプテスマにあずかられ、神の子とされ、よみがえりのキリストと共に父なる神に喜ばれるように地上の人生を歩まれました。神の深いみこころの内に召天され、葬られておられますが、キリストが再び迎えに来られる「再臨」の時、キリストを死よりよみがえらされた天の父の御力によって、必ずや墓からよみがえらされ、死なない、朽ちない身体が与えられ、永遠を天の御国で神と共に生きるのです。その時復活のキリストと顔と顔とを合わせてお会いするのです!

<お知らせ>

▷天国会員の方々のお写真を飾っての合同記念礼拝でした。やがて、主の再臨の時、必ずやよみがえり、わたしたちは再会できるという主の約束は何という大きな希望であり、喜びでしょうか!!

▷墓前礼拝、納骨式は雨のため来週に延期となりました。やがて栄光の身体に変えられるとは何という驚くべき神様のみわざでしょう!

▷このお方に、コロナの完全終息と、戦争の終結をと、祈り続けます。